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松山地方裁判所 昭和59年(ワ)236号 判決

原告

菊地新一

被告

同和火災海上保険株式会社

主文

一  被告は、原告に対し、金四七〇万円及びこれに対する昭和六一年六月二四日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

主文同旨

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三請求原因

一  事故の発生

原告(昭和六年一一月一日生まれの男性)は、次の交通事故(以下、本件事故という。)の当事者となつた。

発生日時 昭和五一年六月二六日午後七時二〇分ころ

発生場所 松山市六軒家町三丁目一九番地河田脳神経外科前県道

加害車 普通乗用車(愛媛五五の七四四〇)

右運転者 訴外村木正徳(以下、村木という。)

被害車 原付二種自転車(松山市い七四九四)

右運転者 原告

態様 右県道を西から東に向け進行中の被害車に、河田脳神経外科駐車場(県道の北側にある。)から県道に出て右折しようとした加害車が衝突した。

結果 原告は、左足部打撲症、外傷性頚部症候群等の傷害を受けた。

二  被告の責任原因

1  村木は、本件事故発生当時、加害車を自己のため運行の用に供していた。

2  村木と被告との間で、本件事故発生当時、加害車につき、自動車損害賠償法(以下、自賠法という。)に定める自動車損害賠償責任保険の契約が締結されていた。

三  後遺症

1  原告は、前記傷害の治療を受けたが完治せず、右頚筋・右肩甲帯筋・肩関節群・肘関節痛、肩後面・肩外側面・腕・手背部・拇指・示指・中指知覚鈍麻、右上肢振戦、滑動性追従眼球運動障害を後遺症として残して、昭和五八年六月二六日以前に症状固定となつた。

2  右各症状のうち、労働能力に最も大きな影響を与えるのは右上肢振戦である。

3  原告は、右後遺症のため、極めて軽易な労務以外の労務に服することはできなくなつた。

4  右後遺症は、自賠法施行令別表(第二条関係)の第七級四号(以下、単に七級四号といい、他についてもこれにならう。)に該当する。

四  後遺症による損害 金二五六五万円

原告が右後遺症により被る損害を昭和五八年六月二七日現在の価額として算出すると、次のとおり金二五六五万円となる。

1  労働能力喪失に伴う逸失利益 金一九三八万円

(一) 原告の性別、生年月日 男性、昭和六年一一月一日生まれ

(二) 労働能力喪失期間(就労可能年数) 一六年(五一歳から六七歳まで)

右に対応するホフマン式係数(年別) 一一・五三六

(三) 年収 金三〇〇万円

原告は、大工として働き、年当たり金三〇〇万円を下らない収入を得てきていた。

(四) 労働能力喪失率 五六パーセント

(五) 算式 300万×11.536×0.56≒1938万

2  慰藉料 金六二七万円

3  1+2 金二五六五万円

五  自賠法所定保険金額 金六二七万円

本件事故発生当時における七級の後遺症に対する自賠法所定の保険金額は、金六二七万円である。

六  既払額 金一五七万円

被告は、原告に対し、原告の後遺症に対する損害賠償額として金一五七万円(本件事故発生当時における一二級の後遺症に対する自賠法所定保険金額である。)の支払がなされた。

七  被告に対する請求

原告訴訟代理人は、被告訴訟代理人に対し、昭和六一年六月二三日の本件口頭弁論期日において、金四七〇万円(前記自賠法所定保険金額金六二七万円から支払済みの金一五七万円を除いたもの)の支払を請求した。

八  結論

以上により、原告は、被告に対し、右金四七〇万円とこれに対する昭和六一年六月二四日から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第四請求原因に対する認否

一  請求原因一は認める。

二1  同二1は認める。

2  同二2は認める。

三1  外三1のうち、右上肢振戦、滑動性追従眼球運動障害に関する部分は争う。その余の部分は認める。右上肢振戦、滑動性追従眼球運動障害は、仮に存するとしても、本件事故によつて生じたものではない。

2  同三2は認める。

3  同三3は争う。

4  同三4は争う。

四  同四は認めない。

五  同五は認める。

六  同六は認める。

七  同七は争う。

第五抗弁

一  時効

1  仮に原告主張の後遺症の全部が存在し、それらと本件事故との間に因果関係が認められるとしても(なお、原告主張の後遺症のうち、被告が認めているもの以外のもので現実的損害を発生させるのは右上肢振戦のみである。滑動性追従眼球運動障害は日常生活に影響を与えないものである。)、原告は、昭和五四年一一月二一日ころには、右全後遺症による損害につき、損害及び加害者のいずれをも知つていた。すなわち次のとおりである。

(一) 原告は、本件事故発生直後から、加害者が村木であることを知つていた。

(二)(1) 原告は、医師森貞近見(以下、森貞医師という。)により、昭和五四年一一月二三日付け診断書をもつて、昭和五四年一一月二一日に症状固定した旨の診断を受けた。右診断書において後遺症の内容とされているところは、原告が最も重大であると主張する右上肢振戦を含め、原告が本訴で後遺症として主張しているところとほとんど同じである。

(2) 原告は、右診断書を根拠に、そこで後遺症とされているもの(右上肢振戦を含む。)につき被告に保険金の請求をした。しかし、被告は、〈1〉初診時診断名が外傷性頚部症候群、左足関節打撲症のみであること、〈2〉治療経過を検討した結果、受傷後約一年間振戦が認められないことを根拠に、振戦と本件事故による外傷との間に因果関係を認めることはできない、として、本件事故による外傷・後遺症は一二級一二号に該当するものと判断し、昭和五五年一二月八日ころその旨を原告に通知した上、昭和五五年一二月二五日右等級に対応する保険金額である金一五七万円を支払つた。

(3) 右経過を見れば、原告は、原告主張の後遺症の全部につき昭和五四年一一月二一日ころには、症状自体はもちろん症状と本件事故との間の因果関係についても知つていたことは明らかである。

2  本訴が提起されたのは昭和五九年六月六日である。

3  したがつて、原告が本訴で主張する債権については、訴訟提起前に既に二年の消滅時効(自賠法一九条)が完成している。

4  被告は本訴において右時効を採用する。

二  寄与率

仮に一の主張が認められないとしても、原告主張の後遺症のうち被告の認めているもの以外のもの(特に右上肢振戦)と本件事故との間の因果関係の存否については相当の疑いが残り、本件事故の右後遺症に対する寄与率は五〇パーセント以下と考えられる。したがつて、本来支給されるべき保険金額の五〇パーセントに限つて請求が認められるべきである。

第六抗弁に対する認否

一1  抗弁一1冒頭部分は争う。ただし、原告主張の後遺症のうち滑動性追従運動障害は日常生活に影響を及ぼすものでないことは認める。

(一) 同一1(一)は認める。

(二)(1) 同一1(二)(1)は認める。ただし、正確にいえば、原告が本訴で主張する後遺症と森貞医師の診断書で後遺症とされているものとは同一ではない。すなわち、原告の後遺症として最も重大な右上肢の振戦についていえば、たしかに、森貞医師の診断書においてもそれは認められており、「機能回復の見込みは期待できず、大工としての就業能力の回復もなく、転職が必要」とされているが、その後原告の症状はより悪化し、昭和五九年五月九日の診断(医師稲見康司((愛媛大学医学部附属病院神経・精神科所属。以下、稲見医師という。))による。)において、「受傷前の労働能力にははるかに及ばない。右上肢の振戦のために細かい作業は不可能で、極めて簡単な作業しかなし得ない。」とされるに至つている。

(2) 同一1(二)(2)は認める。

(3) 同一1(二)(3)は争う。

民法七二四条にいう「損害を知りたる」とは、不法行為を原因として加害者に対して損害賠償を訴求すること(挙証すること)が可能な程度に、具体的な資料に基づいて当該不法行為による損害を認識することと解すべきである(宮崎地裁延岡支部昭和五八年三月二三日判決・判例時報一〇七二号、津地裁四日市支部昭和五七年六月二五日判決・判例時報一〇四八号、東京地裁昭和五六年九月二八日判決・判例時報一〇一七号、東京地裁昭和四五年一月二八日判決・判例時報五八二号参照)。

たしかに、原告は、昭和五四年一一月二一日ころ既に、右上肢振戦と本件事故との間に因果関係があるとの推測はしていた。しかし、原告は、そのころ、右因果関係を証明する具体的資料を有していたわけではなく(森貞医師の診断書においても、本件事故との間の因果関係には言及されていない。原告が右上肢振戦と本件事故との間の因果関係の存在につき具体的資料を得たのは昭和五九年五月九日の稲見医師の診断が初めてである。)、このような状態の下で、被告は、〈1〉初診時診断名が外傷性頚部症候群、左足関節打撲症のみであること、〈2〉治療経過を検討した結果、受傷後約一年間振戦が認められないことを根拠に、右上肢振戦と本件事故との間の因果関係を否定した。

右上肢振戦と本件事故との間の因果関係につき、何らの専門的知識のない原告が、この種の事柄については専門家ともいうべき被告から、一応もつともと思われる根拠に基づいて否定されれば、なすすべもなく三年半を過したとしても、全く無理からぬことというべきである。

2  同一2は認める。

3  同一3は争う。

二  同二は争う。

第七証拠

本件記録中の各書証目録、証人等目録記載のとおりである。

理由

第一事故の発生

請求原因一については当事者間に争いがない。

第二責任原因

請求原因二1、2については当事者間に争いがない。

第三後遺症の存在

一  請求原因三1(後遺症の発生)のうち、右上肢振戦、滑動性追従眼球運動障害に関する部分以外の部分については当事者間に争いがない。また、いずれも成立に争いのない甲第二、甲第五各号証、証人稲見康司、原告本人の各供述と弁論の全趣旨を総合すると、請求原因三1のうちの右上肢振戦、滑動性追従眼球運動障害に関する部分、すなわち、原告に右各障害が発生しておりそれらが本件事故による外傷に起因するものであることが認められ、この認定の妨げとなる証拠はない。

二  請求原因三2(原告主張の後遺症のうち労働能力に最も大きな影響を与えるのは右上肢振戦であること)については、当事者間に争いがない。

三  前記甲第二号証、成立に争いのない乙第一号証、証人稲見康司、原告本人の各供述と弁論の全趣旨を総合すると、請求原因三3の事実(原告は、右上肢振戦のため極めて軽易な労務以外の労務に服することはできなくなつたこと)が認められ、この認定を左右する証拠はない。

四  原告の右後遺症は七級に該当するというべきである。

第四時効完成の有無

一  二年の消滅時効を定める自賠法一九条は、三年の消滅時効を定める民法七二四条の特則と考えられる。したがつて、被告の主張する二年の消滅時効の起算点は、民法七二四条の定めに従い、原告が原告主張の後遺症(本件で現実に問題となるのは右上肢振戦)につき「損害及ビ加害者ヲ知リタル時」になると解される。

二  右にいう「損害及ビ加害者ヲ知リタル時」というのは、不法行為のときという客観的なものを基準とする長期の消滅時効のほかに、当該被害者の認識という主観的事情に係らせる三年(本件の場合は自賠法一九条という特則により二年となる。)という短期の消滅時効が設けられた趣旨に照らすと、当該被害者が当該損害を認識しそれが当該加害者によつて生じさせられたと単に主観的に考えるに至つたときではなく、これに、当該権利の実現のために訴訟提起(又はこれに代るべき行為)をなすべきことを、法の名において当該被害者に期待する(当該被害者がこの期待にこたえないときは、権利実現をあきらめたものとして訴権を奪つてしまう。)ことができる状態が加わつたとき、と解すべきである。これをより具体的にいえば、当該損害につき訴訟を提起して勝訴を得られる合理的見込みがあるとの判断を当該被害者になさせるだけの資料が当該被害者に得られるまでは、前記短期消滅時効の起算点は到来しない、ということになる(勝訴を得られる合理的見込みの根拠となる資料のない者に、単なる推測に基づいて提訴することを期待するのは妥当とはいえない。)。そして、右見解によるときは、ある時点を右短期消滅時効の起算点と認めるためには、その時点において、当該被害の発生自体についてのみでなく右被害と加害行為との間の因果関係についても、訴訟において認められる合理的見込みを当該被害者に持たせるだけの資料が得られていることが必要である。

三  右の観点に立つて見た場合、抗弁一1(二)(1)ないし(3)の各事実を前提にしても、昭和五九年六月六日(この日が本訴の提起された日であることは当事者間に争いがない。)より二年前までに、原告が右上肢振戦と本件事故との間の因果関係の存在が訴訟において認められる合理的見込みがあると判断するだけの資料が原告に与えられていた、とすることはできないものというべきである。昭和五四年一一月二一日ころには振戦が生じていたこと(当事者間に争いがない。)、森貞医師も振戦は本件事故によるものではないかと考えそのように原告にも伝えていたこと(このことは、前記乙第一号証と原告本人の供述とにより認められる。)等に照らせば、この段階で既に右資料は原告に与えられていたということが可能なようにも見える。けれども、原告が右上肢振戦と本件事故との間に因果関係があるとして被告に損害賠償額の請求をしたのに対し、被告が、当時としては合理的と考えることのできる根拠により右因果関係を否定した以上(証人稲見康司の供述によれば、原告の振戦を生じさせた病気((赤核損傷))自体非常に少なく、また、振戦を専門にする医師も当時愛媛県内にあまりいなかつたことなどのため、振戦自体は認められてもその原因を明らかにすることは容易でなかつたであろうことが認められる。)、原告が、内心では被告の右判定に不満を抱きつつも、自己の主張は法律的には通用しないものと考え日を過したとしても、これを強く非難し、これについての訴権を奪うまですることは、消滅時効制度の予定しないところというべきである。

四  以上により、消滅時効に関する被告主張は採用できない。

第五後遺症による損害

一  労働能力喪失に伴う逸失利益 金一三九五万四七五二円

1  原告の性別、生年月日 男性、昭和六年一一月一日

当事者間に争いがない。

2  就労可能年数 一六年(五一歳から六七歳まで)

右に対応するライプニツツ式係数(年別) 八・三〇六四

3  年収 金三〇〇万円

原告は、大工として働き、年当たり金三〇〇万円を下らない収入を得てきていた。

右事実は、原告本人の供述と弁論の全趣旨とにより認められる。なお、五一歳から六七歳までの逸失利益を算定する根拠として五〇歳までの収入を用いることについては、一般論としては問題があり得る。けれども、後述のとおり、年収金三〇〇万円を前提にして算出される逸失利益は金一三九五万四七五二円となり、慰藉料を考慮するまでもなく、本件で問題となる保険金額である金六二七万円をはるかに越えているので、現実の問題にはならない。

4  労働能力喪失率 五六パーセント

5  算式 300万×8.3064×0.56=1395万4752

6  寄与率による減額 なし

被告は本件事故の後遺症に対する寄与率は五〇パーセントであると主張するが、右にいう寄与率とは何であるのか、必ずしも明らかでない。もし、それが、後遺症と本件事故との間の因果関係の存在については、医学的に完全には明らかにされていない要素も残つているので、右要素に見合うものを減額すべきである、との趣旨であるなら、採用できない。損害賠償請求の根拠として右因果関係を問題とするときは、必ずしも医学的に完全に明らかにされている必要はなく、当該後遺症が当該事故によつて十分生じ得るものであることが医学的に認められ、かつ、当該後遺症の原因となり得る事実であつて当該事故以外のものの存在が認められない、というだけで足りるとすべきであり、証人稲見康司の供述と前記甲第四号証によれば、原告の右上肢振戦に右二つの要件が見わつていることが明らかであるからである。

二  慰藉料

一に述べたとおり、原告に生じた後遺症による損害としては、労働能力喪失に伴う逸失利益のみで既に、七級の後遺症に対する保険金額(後述のとおり金六二七万円である。)をはるかに越えるものが認められる。したがつて、後遺症に関する慰藉料につき判断する必要はないことになる。

第六七級の後遺症に対する保険金額 金六二七万円

当事者間に争いがない。

第七既払額 金一五七万円

当事者間に争いがない。

第八被告に対する請求

請求原因七については当事者間に争いがない。

第九結論

以上によれば、被告に対し、本件事故の後遺症に関する損害賠償額のうちの金四七〇万円(保険金額金六二七万円から既払額金一五七万円を除いたもの)及びこれに対する昭和六一年六月二四日(請求日の翌日)から支払済みまでの民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。そこでこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下和明)

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